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見てしまったのです私。そりゃもう、大変なものを。
衛星放送にディスカバリー・チャンネルという、ほぼ世界中に配信されている国際的なテレビ局があります。看板番組のひとつが邦題「アンソニー、世界を食らう」という、アンソニーなるニューヨーク在住の人気シェフであり作家であり、旅行家のオヤジが世界各国様々な場所に出かけては、ひたすら現地で愛好されている食生活を体験する、一度見たらハマること間違い無しという旅番組シリーズがあります。
つまらない芸人や芸能人が出て来て、何食べても一口で「おいしーいぃぃぃぃ♥」などと垂れ流す、日本のエセグルメ番組とは、まるっきり別世界。屋台のストリートフードから目玉の飛び出る世界的な高級店まで、国籍や値段、素材、他人の評価に関わらず、不味いモノはマズイ、旨いものだけを旨いと認めるため、歯に衣着せぬ毒舌を交えて食べまくります。時には東南アジアの奥深く、時にはヨーロッパ、そして南米の別天地へ。もちろん日本にも何度も来ています。何だこりゃ、というゲテモノも出れば、誰も知らないような幻の超高級食材も飛び出しますが、そこは皮肉屋のニューヨーカー、アンソニー氏、権威や評論家の意見などモノともせず、ひたすら自分の舌だけを信じて食い歩くのです。しかも、なかなか褒めない。認めない。いかに高価な料理でも本人がNGなら、「こんなモノ喰うなら、ニユーヨークで寝ていたほうがよっぽどいいね」などと、呆れ顔で落胆、平気でため息をつく。それだけに珍しく彼が「旨い!」と発言する料理ときたら、見ているだけで本当にヨダレが出ます。出まくります。
その毒舌オヤジ、アンソニー氏が「ああもう、この街は世界一旨いよ。どの店でなにを食べても、旨い。最高だよ。ここに住みたいね」と褒めちぎった街があります。
それがスペイン、その街の名はバルセロナ。
その番組を私はたまさか見てしまったのです。
よし、スペインに行こう、バルセロナだ、もう決めた。で、飛びましたぞ、25年ぶりのスペイン、バルセロナへ。
まずは、バルセロナの市場へ直行!!
知らない街に来たら、私の場合まず市場です。そのために、バルセロナでとった宿は市場から歩いてすぐのところ。時差ボケをこらえて朝一番で「さぁ、どんな市場だ、待ってろバルセロナ!!」(あはは、すでにバルセロナに到着しているのですが…)。
宿を出て歩いてすぐそこがバルセロナ市内一の観光繁華街、ラ・ランブラ大通りでした。そこは東京・表参道の小綺麗な並木道が、ちっこいオモチャに思えるほどバリバリと押し出しの効いた、立派な街路樹がこれでもかと茂る、豪奢かつ伝統の香る大人な大通り。しかも、この辺りがバルセロナのすんごいところだと後々、思い知らされる事になるのですが、歩道が車道の何倍も広々ととってあり、並木道のど真ん中、木陰のまさにその下が歩行者専用。人が主役です。車は並木道の両脇に用意された、わずか一車線の狭い道を、どこかすまなそうに往来するという、ま、どこかの効率優先の元経済大国とはエライ違いです。
その気持のいい並木道の中央近くに、バルセロナの大看板「ボケリア市場」がありました。朝八時前からやっている市場は、もう観光客やら何やらで、ごった返しの大盛況です。市場のアーチをくぐると、出ました、まずはスペイン名産の生ハム専門店が怒濤のディスプレイ。ハモン・セラーノ、ハモン・イベリコ・ベジョータ、足一本丸ごと屋台の軒先にずらりとぶら下がり、ショーケースにはギロリと旨そうな脂が光る、生ハムスライスだの、生ハムを専用のナイフだの、なんだか分からない器具だの、ずらずらずらと並び、のっけからポッと出の観光客を圧倒して来ます。
人混みをかきわけ、さらに進むと、ああ、もう大変だ。赤々としたエラまで見せて新鮮さをアピールしている魚、タコ、貝などの魚屋、隣にぷりぷりと美しい数えきれない程の野菜の数々を絵画のように見せつける八百屋、カカオ豆の含有量を自分で選べるチョコレートの専門店、立ち食い用のスティックフルーツや生ジュースまで取り揃えた、豊かとしか言いようのないラインナップの果物専門店。しかも、たっぷり入った立ち食い用の苺の盛り合わせが、たったの一ユーロ、100円以下です。さらにパン屋に花屋に、屋台のバー、食堂、甘いもの専門店、肉屋などなどが迷路のなかにひしめき合い、市場を埋め尽くす人々のスペイン語、ドイツ語、英語、イタリア語、フランス語、韓国語、日本語、中国語、聞いたことない外国語…、多種多様な言語が市場の天井にわんわんと響き渡ります。
文字通り、世界の人を魅了する市場。はぁ〜、こりゃ、凄いね。圧倒され、ちょっとばかり歩き疲れて、市場の中にあるカウンター式の小さな食堂に腰掛け、ワインと食べものを適当に頼みました。これが本日の朝飯です。出て来たワインを一口飲んで、また目が丸くなりました。「旨いぜ、これ」。ワイン好きの連れも「あ、おいしい」と、目をパチクリ状態。すぐに出て来たジャガイモとイワシのオイル煮がまた、おいおいおい、という旨さ。そのソースにパンをつけて…と、ワインが進んで困ります、まだ午前中なのに。10席もないカウンターだけの店には、中で働く男達が三名も。人気店なんでしょうね、きっと。店主らしきオヤジに市場の仲間らしき男が「アントニオー!」などと声をかけて、市場の活気に花を添えていきました。
さてさて、その後数日間というもの、市場に有名レストラン、知り合いから聞いた街の新進気鋭の店などなどバルセロナを食べ歩いてみました。国際的食道楽オヤジ、アンソニー氏の云った事は、果たして本当なのかと。
…本当でした。衝撃です。私は、正直、うろたえました。その昔、スペインを旅した時、特にフラメンコと闘牛で有名なアンダルシアでしたが、どこの店に行っても単調な揚げ物と似たような料理のオンパレードに「ああ、ここで日本のカツ丼が喰えたら、10万円出してもいい」と愚かにも渇望したほどでした。その時とはエライ違いです。お隣の国イタリアは世界に誇る旨いもの大国で、食いしん坊の私も何度か行ったことがありますが、いやはや、バルセロナ界隈しか分かりませんがサッカー同様、もはや旨さでもイタリアはスペインに抜去られたような気もして来ました。
魚の火の通し方の精密さ、ソースの軽さ、肉の滋味、そして野菜の生き生きとした食感、それから盛りつけの絵画的なセンスは、ピカソにミロ、ダリやガウディを育て上げたスペイン・カタルーニャ人のDNAの仕業なんでありましょうか。高級店も庶民の店も、ほとんどが「どうなってんの、これ!!」とばかりに旨いのです。美しいのです。しかもです、驚いたことに様々な店が日本料理の要素を巧みに取り入れていて、メニューを読むと何気に「YUZUKOSHO」なんて書いてあるんですよ。料理の世界では、ワサビ、テンプラ、スシなんぞはもう国際語になっちゃってますが、よもやスペインが九州の柚子胡椒まで取り入れていたとは…。日本の料理、私たちが感じている以上に、急速に国際化していたのでした。方やイタリアはもう少し保守的で料理店の当たり外れもけっこう大きな国ですが、ここでは、違う。柔軟で先進的、なつおかつ繊細、なんて評論家みたいで変な表現でかっこう悪いですが、私みたいな者にもそう感じさせてしまうのです。ハズレが少なく、平均点が高〜い。しかも、その感激はバルセロナ沖にある、とある島で極めつけとなったのであります。
いざ、スペインの沖縄、マヨキンの島へ。
バルセロナから飛行機でわずか一時間ちょっと。そこには以前から行ってみたかった島がありました。島の名はマヨルカ島(マジョルカと発音するのかと思っていたら、現地ではマヨルカでした)。しかし地中海にあるこの島のことは、実はあまり良く知りませんでした。
昔ショパンが暮らしていたことがあるらしいとか、そんな程度です。ただ調べてみると数百年前はイタリアの島シチリアとマヨルカは同じアラゴン王国という国に属していた、というではありませんか。実はシチリア料理は私の大好物、だとしたら、マヨルカも…妄想は勝手に膨らみ、気付いた時には思い込みは過大な期待に変わってしまっていました。ああ、外れちゃったら、どうしよう。
マヨルカ島の首都は、パルマ・デ・マヨルカです。そこの元修道院だったという宿に泊まったのですが、夜になると宿のレストランは、なにやら外から人が沢山やって来ている様子。レセプション担当に聞いてみると予約で一杯ですという。あら、では旨いのではないか。と、ヤマをかけ空いている日に予約を入れてみました。それがまた…相当にいい店だったのです。ここもまた繊細で美しく、しかもその見た目を凌ぐ旨さのバルセロナ流スペイン料理でしたが、聞けば店の料理を確立した初代シェフは、日本人だと給仕長はいうではありませんか。「いまはサンタカタリナで自分の店を開店していますよ」と説明してくれた後、いきなり日本語でおどけて「オイシーネー!」だと。初代シェフに習った日本語だそうですが。
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宿はなんとまぁ15世紀に建てられたという、とんでもなく広大なオリーブ農園主の屋敷でした。見渡す限り周囲に家屋は一軒も無く、遥か遠くで羊たちが3ミリ程のミニチュア模型のように寝転んでいる姿が見え、オリーブの林が山奥までズズズイーッと限りなく続いています。
屋敷の中には、昔使っていたというロバを使ったオリーブ絞りの巨大な石臼だの、数百切キロはありそうな木製のテコだのが、そのまま歴史的なインテリアに。しかし、鑑賞しようにも、あの恐怖の山道のせいで、いまは喉がカラカラ、おまけに腹ぺこ。とりあえず、なにか食べるモノを、と大農園の母屋にある食堂へ向かいました。まずビール、それから白ワインと何か食事をお願いします。「あいよー」と愛嬌のある兄さんが持って来てくれたのは、島の地酒ワイン。その瓶を指差し彼一言「マヨキン!!」。「はぁ?」「マヨキン!!」。そういえばさっき宿にチェックインした時にも、オーナーの息子が「マヨキン!!」って言ってたっけな。なんだい、そりゃ。すると兄さん、ワインのツマミに持って来たオリーブの実も「マヨキン!!」という。あ、分かった。「マヨルカ産」ってことではないか。
しかもですよ、この冷えたマヨキン白ワインが、旨いこと、旨いこと。思わず親指を立て「マヨキン!」と兄さん伝えると、当たり前だろう、という顔であからさまに得意気です。
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確かにマヨルカは、スペイン本土とは歴史も違えば、言葉も違う。かつては海で隔てられた別の国だったわけで。確かに島の首都パルマの人たちもバルセロナとは雰囲気が違っていました、いま思えば。
そして、また驚きはこの農園ホテルの夕食で頂点に。ここもまたワインも料理も、もう間違いなしのストライク。ウサギだ豚だと食いましたが、豚がまた沖縄のように絶品。しかもシェフが凄い、三十代前半の日本人女性だったのです。さらには宿の副支配人も日本人女性。ここは日本人でいっぱいという宿では決してなく、むしろ逆です。副支配人の女性には、はるばる沖縄からよくお越しくださいました、とドイツ人、スイス人、イギリス人客ばかりのなかで驚かれましたが、いやいや、むしろ驚いたのは我々の方で。なぜまた、ここで日本人が二人も頑張っていらっしゃるのか。これもボーダーレス時代の世界、そして何よりマヨキンの魅力なのでありましょうか。後日、マヨルカにはドイツ人が三万人以上本国から移住して来ている、と知りました。これもなんだか、近頃の沖縄と似て来ているような…。いずれにしても、マヨキン、私は本気で気に入りましたぞ。また行くよ、マヨキン!待ってろよ、マヨキン!